高野山 関西1デイパス(姫路城-長浜)
空海(弘法大師)が高野山に開山して開創1200年、JR西日本が企画した日帰り旅行「夏の関西1デイパス」にて。
「おトク度」を大きく?と高野山ウォーキング後JR新快速で姫路(姫路城を遠目に撮影)から長浜まで長距離移動、久しぶりの列車の旅・・鉄道の旅が懐しい
それはナイショ、内緒にします。色々有りますが、一つだけ白状します。
この切符でどれだけ移動出来るか、鉄道の列車旅を体験出来るか試したかった故・・・・決して少年期に鉄道マニアだったからでは有りません。
その証拠に? 今春4月29日に開業した「京都鉄道博物館」にも見物に訪れていません。
なんせ初めて列車に乗ったは中学3年の修学旅行の際でした。
動力源の石炭の破片が駅構内に散らかっていた。 これが燃える?燃料?
それまで手で潰したら砕ける木炭は火鉢で使っていて火をつけると赤々と灯り体を温めてくれるのは承知
木炭より見た目は黒い石ころの石炭・・初めて見ました
こんな硬い石?が燃える? 不思議だったなぁ~
ポッポーの汽笛、トンネル突入前後の窓の開閉操作、ホームの存在、駅弁そして阿蘇山に向かう途中のスイッチバック式線路
大体、駅舎そのものが珍しかったなぁ~
当時の田舎では鉄道マニアの憧れ・追っかけ対象の線路も列車も無し
有るのは未舗装のデコボコ道を走る、恐らくは本土(鹿児島か神戸?)からの中古自動車たるボンネットバスでした
その情景が今でも存在すれば、それは又現代の世の中ゆえ南の小島を走るボンネットバス旅で人気沸騰?
当時のバスはデコボコの泥んこ道に嵌って抜け出せないバスを男性の乗員が下車して人力で押したことも有った記憶が・・
今では路線バスが停車中に地球温暖化防止対策?よろしくエンジンを切ってイザ進む際に改めてエンジン始動するような光景が見受けられますが、とてもとても・・当時の田舎のバスは予期せずにエンストしようものならエンジンの100%再始動は期待出来ない
実際、エンスト中の車体の前方の穴からエンジン回転用の鉄棒を回したりで結構難儀している様でした。
いまでは米軍統治下から日本へ復帰を成し、復興・振興事業で奄美群島内の道路も整備されたことでしょう
恐らく、道幅も広く・・より直線化され・・何より舗装されデコボコが少なくなり更にはバスも性能が良くなり大幅な時間短縮になっているハズ
懐かしき 懐かしさ かな
「ごくらくばし(極楽橋)駅」下車
上から下るケーブルカーが・・・近づいて来ます
あちらに見えますのは南海電車「こうやさん(高野山)駅」ケーブルカー乗り場
薩摩藩島津家墓所
竹田信玄・勝頼墓所
石田三成墓所
明智光秀墓所
加賀前田家二代利長墓所
先には「奥之院 弘法大師御廟」、脱帽 撮影禁止
高野山真言宗 総本山 金剛峯寺
高野山 根本大塔
大門
帰路、南海電車高野線「高野山駅」にてケーブルカーを待つ
あっ、あれはマコトか?世界遺産 姫路城では?
世界文化遺産 国宝 姫路城 ・・「白鷺城(しらさぎ城)」の愛称がピッタリ
平成5年12月に奈良の法隆寺と同時に日本で初めて世界文化遺産に登録
姫路城を少し拡大表示 |
JR長浜駅の改札口を一旦、出たものの時間も時間・・・立寄る所が見当たらない
JR長浜駅の東口
JR長浜駅の西口
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しばらくして新快速にて折り返し、京都駅へ
京都駅で山陽本線(嵯峨野線)に乗換えて亀岡駅へ
フリーパスきっぷ の有効期間は当日限りでしたがギリギリのセーフ
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帰宅したら、日が変わり午前0時をまわっていました。
表面上は0泊2日の旅となりました
前年の同じ7月12日にも0泊2日で琵琶湖一周サイクリングをしました 同じ0泊でもフルの2日間でしたが、今回の2日目は駅からの帰宅の旅でした |