ワイド、ワイドゥ、ワァ~イドゥ・・・
小さな集落が海岸に沿って細々と長々と(人口少ない島では自慢したくなるような・・長さな~んだ)
砂浜のある辺りで闘牛大会が催されていました。
昔々のことです・・小学校に入る前後の頃だったか、記憶は微かに。
(今では観光施設としての闘牛場が有るようですが・・)
当時は大会用に円形状に木の柵を張り巡らせて、先ずは中央で対峙させる
大相撲の仕切り・立ち合いに相当するんでしょう
タイミング良く角を突き合わせてイザ!闘いの始まり!
頃合いを見て、夫々の引縄?を外して真剣勝負に・・
力士たる牛の角は予め、鋭く研ぎすまされて・・
・・・
(中略、数少ない娯楽なので観客も大声援・・出場力士?の親戚は、それこそ必死なんでしょう)
~通り一片の表現では、まして表現力に乏しい身では逆効果になってしまいそう~
・・・
1頭が逃げ出す・・円形の柵に沿って逃げ回る
勝者は追いかける場合も、ド~ンと落ち着いている牛もいる
何番かの取り組みが行われていきます
勝者の闘牛の背に跨ったり立ち上がったりでワイドワイドの掛け声や踊りで応援も絶好調
或る時、小学校のスグ近くの牛がすごく強いとの印象が・・残っています
「篠原(しのはら)牛」だった?・・その牛が急に何処かへ行ってしまった
今になって懐かしくネットで検索したら1~2回のトレードを経て「実熊(さねぐま)牛・・実熊号」となって行く
初代の実熊牛らしい。徳之島全島一の栄誉を何度も重ねて行ったらしい・・闘牛大会での横綱を何度も張った訳ですネ
子供ながらも身震いするくらい興奮したものです
就職して1~2年後の夏休みに四国ほぼ一周のサイクリングに出かけました
瀬戸大橋などの連絡橋は未だ架かって無くフェリーを利用して・・
初日は日射病?今風には熱中症?で道端に倒れる・・倒れて行くのは感じたが何せ初めての体験・・ごく自然に倒れる
15分程度だったんだろうか横になったままだった・・交通量は少なくて大事に至らなかった
頭・肩・背中は強い日射で焼けただれたんでしょう・・今も火傷?の後遺症?跡が。
ほぼ一周で距離が長い為、初日は徹夜に近く・・
夜通し走るも遂に海岸にて暫し仮眠を~そして室戸岬見物して高知市に入る
ここで一泊、一路 足摺岬へ向かい岬を見物して宇和島市にて
何処で聞いたか定かでは有りませんが、宇和島は闘牛が盛んだと・・
故郷を離れて久しく「闘牛」にかかわる話は・・何となく馴染みな・・印象
それから年数経って高校野球の観戦で何度も行った阪神甲子園球場だったか西宮球場だったかで闘牛大会が有った由
その大会には徳之島から宇和島からも・・
さて四国サイクリング、宇和島市から松山市へ
走っても走っても延々とミカン畑が続いていたなぁ~
記念?に「道後温泉本館」に立ち寄り入湯、愛称「坊っちゃん湯」にも入りましたが何せ文才0”ゼロ”故、特別には・・
その後、国鉄(現、JR)の列車のお世話になりフェリーで一夜明かしたのだろうか?記憶は消えてしまった
安っぽいカメラで撮った白黒写真、室戸岬・足摺岬ほかも20年間保有はすれど改めて見ること無く処分済み
写真の代わりに思い出させてくれるは消えることの無い頭・肩・背中の強い日射を真面に受けた火傷に近い皮膚のシミか
あの頃は高血圧の症状は父親のもので自身には無関係だったハズなんですが・・これも時代の流れ・生活習慣の成果物?