先にブログで話して有りますが、急に永き眠りについた兄貴に お別れに・・
一昔前のイメージが強かったのですが掲げられた遺影の写真の姿は朗らかで堂々としたもの・・・改めて圧倒されました
以前のイメージは持ち前のバイタリティーで何事にも立ち向かって行く様子でしたが・・その後の蓄積された自信や交友の広さからでしょう・・・比べ物にならない存在感になって行ったみたい
多くの方々が会葬に参列されていました
一昔前のイメージや遺影写真の姿の後、最後に眠りについた彼にお別れした際のあまりにも大きなギャップに遂、涙が込み上げて来た次第
以前から親戚の中では一番の元気さ・体力・バイタリティーがある兄貴分で通っていた為、俄かには・・・
情が深い! 神戸に住んでいても東京地区の田舎出身で成る郷友会に何度も出席していたらしい
弔電の幾つかには・・何れは故郷・徳之島に居を構えて・・・云々と話していた旨の紹介も・・・
あまりにも突然でビックリの急逝でしたが・・安らかに・・・と。
当地、亀岡市から式場までは結構かかりそうなので余裕をみて早めに出発・・・途中、神戸・三ノ宮界隈をブラリ
帰りには同じく三ノ宮で久し振りに歩いて見た
一昔前には神戸の街歩き、三ノ宮~元町や新開地辺りに何度か足を運んだものです
商店街を歩くのも田舎モンにとっては楽しみの一つだった
それに港の方へ立ち寄るのも・・・
また遠い奄美大島・徳之島を含めた奄美諸島から神戸港には定期便が・・・「ポートタワー」のある「中突堤」の地を踏んで憧れの内地(本土)に
確実なのかと問われたら・・少しだけ頼りなさも有って危ういが・・・
当時は奄美群島「与論島・沖永良部島・徳之島・奄美大島(古仁屋港・名瀬港)・喜界島」~鹿児島港
沖縄~奄美群島「与論島・沖永良部島・徳之島・奄美大島(古仁屋港・名瀬港)」~神戸港・中突堤
の航海コースだったのでは? 多くの同級生が本土の関西・関東・鹿児島の兄弟や親戚を頼って転校して行ったもの
小生みたいに奄美群島内で幾度も転校を繰り返していたのは希少動物並みです
人一倍に故郷・郷里に思い入れのあった兄貴でした
さて、本当に久し振りの神戸・三ノ宮界隈
撮った写真は次のブログサイトにアップしてあります
手繰り寄せ徒然写真-ブログ |
早朝に出発し久し振りに神戸へ。古都京都・嵐山の渡月橋を通り阪急電車で神戸・三ノ宮に。行き帰りに三ノ宮にて時間調整や一休み!一昔前には三ノ宮~元町界隈の繁華街を幾度か・・懐かしい