台風銀座と言われ、人口・通行人では東京の銀座に順位を譲る も、こと接近・上陸数では負けるものか

現時点でのお話との断りを入れた上で・・・
ネット検索にて検索語句を
「旅ネット 台風銀座」
「旅サイト 台風銀座」
の何れの組合せ(複合キーワード)で検索しても検索結果でソコソコのページ数内にリストアップされています
日本国内限定なら台風を体験、それも勢いの強い段階での台風との遭遇を毎年経験するチャンス?は台風銀座で生活した方が経験で上?
ちょっとで無く、誇張も過ぎたるもの
たまには変な自慢をさせてもらいたいモノです
同じ台風でも切実な場面を多く体験した
その現れが検索結果に・・・

沖縄諸島の南に位置する台風が八重山・沖縄本島・奄美諸島に接近する恐れ有りと予想されるや、定期船(鹿児島市〜奄美諸島=奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島)
(神戸〜奄美諸島〜沖縄)航路の航路北側にて既に待機状態に入る
しかも待機地点を台風が通り抜けてある程度凪ぐまでは見合わせる
従い本土からの生活物資は大幅に遅れることに

か細い幹のバナナの木は大きく広がった葉っぱが強風をマトモに受けて薙ぎ倒される
従い台風の接近に伴い短く散髪する如く手入れ

サトウキビしかり

二期作(田植えも稲刈りも毎年2回)の稲作も台風ののご様子伺いで御座います
決してお得意様では無いのですが・・

当時の生家は敷地外周を珊瑚のでの石垣、隣接の小川から泥水が流れ込んで来たもの
水道は無く、井戸・・泥で濁る

親が仕事で生家を離れある時期、どう中学後半は年老いた祖母との二人暮らし
限られた仕送りで、ローソクも大きく長持ちするものは買えず
裸電球が40Wが2本、60Wが1本くらいだったか
一時は1ダース越えの家族がこれらの電球の下で生活していたんですね
灯油のカンテラ?を使っていたような気もします
そうだカンテラの芯を出し入れしたものです
当時の九電吸収前の電気料金は本土・九州電力の数倍もしていたらしい
今では九州電力に吸収され安定した電力の受電も可能でしょうしバカ高い電気料金も抑えられていると思う
当時は島内の離れた場所に有る小さな発電所で確か夜の9〜10には相当に送電出力を絞っていたみたいで凄く暗くなったもの
学校ではスライダック(変圧器・昇圧器噐)を使っていた

あれから半世紀は経ちます
台風銀座を訪れる台風さん達のみなさん
少しは私同様に衰えましたか
依然としてお元気なら、どうぞお手柔らかに・・