某大手商社がサトウキビの搾りカスや利用されて無かった部位も発電燃料に? 昔 牛が回ってキビ汁を搾っていたなぁ

某大手商社がサトウキビの搾りカスや従来は利用されて無かった部位も使用して燃料にする事業を興すらしい
彼此もう60年ほども昔になるでしょうか、小学校入学前後のことになりますが生家のスグ近くに小さな製糖工場~本当に小さなミニ工場が有った
恐らく集落単位での黒糖生産工場だった?。それも長くは残らずスグに目の前から消えた
でも懐かしい!サトウキビを絞る為の回転機を牛に引かせていた。 当時でも珍しい光景だった。 収穫期の僅かな期間だし~。
絞り機の回転軸の周りをグルグル回らせてキビ汁を搾りだす。
その絞りとったキビ汁をパン(例えば洗濯機の下に漏水防止に敷く器・・これを大きくしたもの・・トレイ?)の中で煮えたぎらせ掻き混ぜながら黒糖にして行く。 本当に甘~い香りのプンプンする現場だった。
”絞りかす”の行方は分かりません。各家庭での燃料は薪だったし肥料は他に使っていたみたい・・かと言ってワザワザ捨てていた事も無いのでは? 幼い頃の記憶ゆえ行先は I am sorry. I do not know !
やがて本格的な製糖工場が出来て、集落のプチ製糖工場は姿を消して行った訳です。
その前後は生まれ育った徳之島を含めた奄美群島(他には奄美大島・喜界島・沖永良部島・与論島・加計呂麻島)が沖縄地域より先に米軍統治下から日本へ返還・復帰した頃
恐らくは本土よりの資本が製糖工場に投下されたからでは?
急に収穫されたサトウキビを満載したトラックが行き交うようになる。
遠く離れた製糖工場に向け狭いデコボコの泥んこ道を走ることに。
復帰に係る復興振興対策事業などで、今では道路も整備され短時間での移動が可能になっているらしい

二期作の稲作が主体も本土への移住、特に若者の流出や全国的な稲作生産価格の低下で後継者不足なのでは
砂糖工場も全体的には海外からの輸入品が多くなり・・・加工品や黒糖焼酎に目立つくらいかも
本場大島紬も一時のブームは有れど全国的に和服の需要が減少、更には低コストの外国産紬が入って来たり・・
で大変なのでは・・・復興事業を地場産業と見ていいのか分かりません

さて例の”サトウキビの搾りかす”については一度見学に行った製糖工場で燃料に回しますと聞いたことが有り、集落のミニ工場では見かけなかったので感心した記憶が有ります。
ミニ工場で絞ってもカスには未だに水分が残っている! でも大型工場では絞りに絞っているからだろうと妙に感心していました。
恐らくは今回の某商社の企画でも、それを進化させた事業化でしょう。 発電事業への燃料化?とか
今度はサトウキビの葉っぱ・茎の部分も活用する? ナルホド!
昔、さとうきび収穫の際は先ず茎に近い箇所を鎌で切り取る~次に何本も有る葉っぱを切り落とす~更にキビの外側の皮を剥ぐ~必要が有れば適当な長さに分割
この段階で利用出来なかった部分も燃料に利用する訳だ! 確かに葉っぱも自然に枯れたら燃えやすいものだから
ついでながら蘇鉄の棘の有る葉っぱも枯れたら一気に燃える・・五右衛門風呂を沸かす際、燃料の薪への火付けに枯れたソテツの葉をくべたこと有ったっけ。

今では味わえないサトウキビの味
収穫したサトウキビをキビ畑で皮を剥いてしゃぶる・・キビ汁を・・仮にキビを目にすることが有っても、今は歯がボロボロではねぇ~入れ歯では無理だよなぁ~
絞り出したサトウキビの汁から工場で黒糖に仕上げて行く段階での香ばしい温かい出来立てホヤホヤの黒砂糖・・あぁ~美味しかった!